東塔地域 |
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比叡山 延暦寺は、平安時代から鎮護国家の寺でした。 |
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山王堂
正しくは、法華鎮護山王院といい、延暦寺五代座主円珍(智証大師)の住房でした。千手観音を祀るので、千手堂とか千手院の名でも知られています。
円珍没後100年、円珍派と円仁(慈覚大師)派の僧の間で紛争が起き、円珍派はここから円珍の木像を背負って比叡山東麓にある園城寺(三井寺)へ移住したといわれています。 |
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戒壇院(国重文)
最澄(伝教大師)が建立すべく、心血を注いだ天台宗の僧侶に大乗戒(規律)を授ける堂。比叡山中で最も重要なお堂です。大講堂の西側の丘の上に建っています。
最澄が生きている間には許可が出ず、許可が出たのは最澄が亡くなった弘仁13年(822)6月4日の7日後でした。
現在の建物は延宝6年(1678)の再建。内陣に得戒和尚、釈迦牟尼仏と文殊・弥勒の両菩薩が祀られています。 |
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根本中堂の入口です。 |
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根本中堂(国宝)
最澄が建立した一乗止観院の後身であり、全山の総本堂です。織田信長の焼き討ち後、寛永18年(1642)徳川家光によって再建されました。 |
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根本中堂 須弥壇のある内陣には、三基の厨子があり、中央の厨子には最澄自作の本尊薬師如来像が祀られています。
厨子前の三つの灯籠は、最澄が灯した灯明を継いで来たもので、1200年間、消えることなく灯り続けている「不滅の法灯」。 |
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文殊楼(常坐三昧院)
根本中堂の正面東側にある石段を登ったところにあります。貞観8年(868)、最澄の弟子の円仁(慈覚大師)が常座三昧の修業を行う道場として建立したのに始まり、寛文8年(1668)火災に遭い、寛永19年(1642)徳川家光により再建されました。延暦寺全山の総門の役目を果たす重要な楼門で、上層(二階)には、文殊菩薩が祀られています。 |
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浄土院
東塔北西端にあり山中で最も清浄な聖域で、弘仁13年(822)6月4日、56歳で入滅した最澄(伝教大師)の廟所です。
弟子の円仁(慈覚大師)が仁寿4(854)7月に、中国五台山竹林院を模してご廟所を建立して大師の遺骨を祀りました。廟所は本堂の裏手にあります。 |
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阿弥陀堂
延暦寺開創1500年を記念して昭和12年(1937)に建立されたものです。ご本尊は丈六の阿弥陀仏坐像が祀られています。建築は、鎌倉初期の手法をこらした純和様式です。 |
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東塔
最澄(伝教大師)が「法華経」千部を安置する塔として、日本全国6箇所(上野宝塔院・筑前宝塔院・豊前宝塔院・下野宝塔院・山城宝塔院(比叡山西塔)・近江宝塔院)の聖地に建立し国土と国民を護ることを発願された宝塔を総括する宝塔で近江宝塔院にあたるものです。高さ30m、木造構造、重層多宝塔です。昭和55年(1980)、天台宗徒の佐川清氏(佐川急便グループ会長)の寄進により再建されました。 |
西塔地域 |
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にない堂
常行堂と法華堂の総称。力持ちの弁慶が渡り廊下を天秤棒にかついだという伝説から「弁慶のにない堂」とも呼ばれています。文禄4年(1595)に再建。 |
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転法輪堂(釈迦堂)
西塔の中心をなす大堂。本尊に最澄(伝教大師)自作の釈迦如来を祀ることから釈迦堂の名で親しまれている。2代座主の円澄によって建立されたが信長の焼き討ち後、文禄5年(1596)豊臣秀吉が大津の天台宗寺門派の園城寺(現三井寺)の金堂を移築したもの。延暦寺に現存する最古のお堂。造営年代は記録から南北朝の貞和3年(1347)とされている。根本中堂と同じく天台様式の典型で、内陣は土間、中央に本尊を安置する宮殿を壇の上に設けている。 |
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仏足石
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スミレのようなかわいい花が咲いていました。 |