平成16年9月16日(木) 曇り のち 晴れ ちょっと、暑いです。 島後(どうご)の西郷港から、島前(どうぜん)の別府港へ向かいます。 島前は、西ノ島、中之島、知夫里(ちぶり)島の三つの島からなっています。 今日は、西ノ島にある別府港に行き、そこの民宿に宿泊する予定です。 中之島の「三郎岩」 ![]() ![]() 別府港に到着。 レンタカー、軽・ダイハツミラを6時間で借ります。 料金は、7千円(免責補償1千円を含む)。 本土に比べて高いですね。この島にレンタカーの会社はひとつしかないようです。 黒木御所前へ。車を駐車。 そこから歩いて2〜3分のところにある、三位局屋形跡へ歩いて向かいます。 ■ 三位局屋形跡 一段高い丘の上、竹林のなかにあります。竹が倒れています。 ![]() 三位局は、阿野廉子といい、後醍醐天皇のお妃の1人です。元弘の変で天皇が隠岐の流されたとき、女性の身にかかわらず一緒に隠岐に随行してきました。阿野廉子は、後村上天皇の母です。 黒木御所に向かいます。 ■ 黒木御所 県指定史跡 ![]() 黒木御所は、湾に突き出た丘の上にあります。 地元ではこの丘を天皇山と呼び、後醍醐天皇の行在所だったと伝えられています。 ここは、なぜか県指定史跡になっています。島後の隠岐国分寺も後醍醐天皇の隠岐行在所といわれ、国指定史跡になっています。 ![]() 入場料300円 天皇や黒木御所に関する資料を展示する碧風舘があります。 天皇山に登る階段を上がってゆくと、約4分で、頂上へ着きます。 黒木神社 後醍醐天皇を祭る神社です。 ![]() その脇道をさらに進むと、天皇山の頂上に黒木御所跡があります。 玉垣に囲まれた中に、石の碑が立っています。 後醍醐天皇が、隠岐を脱出するまでの約一年行在所としたと伝えられています。 ![]() さかんに、つくつくぼうしが鳴いています。 それから、隠岐判官館跡へ歩いてゆきました。 ■ 隠岐判官館跡 少し坂を上った丘にあります。 ![]() 後醍醐天皇による元弘の変当時、隠岐国は佐々木氏が領し、本拠を出雲におき、隠岐には守護代を派遣していました。守護代の館がこの地にあり、黒木御所の警護と監視の任にあたっていました。 そこから、焼火神社へ行こうと思いましたが、道がわからず、あきらめました。 浦郷港へ向かいます。 浦郷港の飲食店で昼食。味噌ラーメンを食べる。700円。 ■ 由良比女神社 ![]() ![]() 由良比女神社は、するめ大明神といわれていた。 昔は、社前の浜に11月末から3月初めまでイカが押し寄せたといいます。 国賀海岸の国賀浜へ。 ■ 国賀海岸の国賀浜 絶景です。 ホームページのなで、写真は小さいですが、実物の風景はスケールが大きいです。 ![]() ![]() 通天橋 ![]() ![]() ![]() 荒々しい断崖、波に浸食された岩、きれいな海が広がっています。 不思議で、ダイナミックな景色です。 海の水が透き通っていて、きれいでした。 ![]() ![]() 鬼舞スカイラインを走ります。道は細いです。 とても、スカイラインとは思えない、農道のような道です。 路上に、牛・馬のフンがいたるところに、やたらと落ちていました。すれ違う車もないです。 ![]() 鬼舞展望所に到着。 ![]() ![]() 魔天崖へ。空が曇ってきました。 ■ 魔天崖 崖の標高は257メートルにも及び、巨大な壁が、海から空に向かって垂直にそそり立っています。 草地で、馬・牛がのどかに、草をはんでいます。 ![]() ![]() ![]() 馬や牛が放牧されています。 ![]() ![]() 美田小向(みたこむかい)で、にわか雨が降り始めました。 ■ 後醍醐天皇腰掛岩 御脱出御船出之地 ![]() 普通の民家の裏手にあります。 元弘の変によって隠岐へ配流になった後醍醐天皇は、在島1年ついに脱出を図り、元弘3年閏2月24日に決行しました。厳重な監視から逃れて、この地に船を待つ間休息したといいます。 別府へ戻ります。 雨上がりの別府港で、海の向こうにきれいな虹が見えました。 ![]() レンタカーを返しました。 歩いて民宿に向かいました。 今日は、竹並旅館という民宿に泊まります。一泊二食付きで8,240円 港のそばにある旅館というか、民宿です。木造2階建で、古いです。 宿泊する部屋は、2階の部屋でした。 宿泊客は、自分の他はいないです。観光シーズンをはずれているのと、平日だからでしょう。 16:30 風呂に入ります。 風呂をでてから、歩いて、千福寺跡を探しに行く。旅館から近そうです。 三位局屋形跡への曲がり角を過ぎて、さらに歩いてゆきます。 坂を上って、下ります。 ■ 千福寺御座所跡 ![]() 千福寺跡は、最初に右手にある民家の裏手にありました。 歩いていかないと、みつからないです。 民有地に、鉄条網が張ってあり、立ち入りできません。 こういうときは、望遠つきのカメラがあって、よかったです。 ここは、今は廃寺になっていますが、後醍醐天皇が隠岐に流されてきたとき、行在所になったという伝説があります。 旅館に戻ります。 民宿で、夕食。料理を食べきれない程でました。 あわび、煮魚、いか・たいの刺身、天ぷら、ナシ、山芋のおろしなどです。ごはんのおかわりを、4杯もしました。 夜、少し蒸し暑くて、寝付けませんでした。 結局、12時すぎまで寝付かれなかったです。 |