平成18年11月12日(日) 播磨 今日は、関西滞在3日目、播磨(兵庫県西部)の山城に登りにきます。 一日で、標高500m前後の山を二つ、ハシゴして登る予定です。 新大阪から、新幹線で姫路駅へ。30分ほどです。 姫路駅で、レンタカーを借り、まず最初の山城、城山城跡へ。 |
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■ 城山城跡 標高458m 室町時代の赤松氏の城です。 |
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1441年、赤松則祐(播磨守護)は、時の足利6代将軍 足利義教を、京都の自邸に招いて、殺害するという大罪を犯します。 そのため、赤松氏は、幕府の追討軍に攻められ、この城山城に追い詰められます。 最後、赤松満祐は、城山城で自刃し果てました。「嘉吉(かきつ)の乱」です。 |
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水がきれいな川です。 |
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さすがに、11月半ばなので、涼しいというか、ちょっと寒いぐらいです。 |
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この橋は幅が狭く、車で通るのが怖いので、車を手前の堤に停めてきました。 |
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頂上に一番近い道を登り始めました。 登り始めて後悔しました。一番近いということは、急な登りなんですね。 |
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途中、鹿がいました。ピィーというような鳴き声を発しながら逃げてゆきます。3回ぐらい、鹿を見ました。自然が豊かです。 |
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山の頂上は、杉や雑木が生えていて、ほとんど眺望がききません。 |
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50分ほどで、城山城跡に着きました。 はぁはぁです。 杉林の中に、赤松氏供養塔があります。 |
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建物の石の礎石が残っている所があります。 付近を見学して、下山します。下りは40分ほどでした。 車で移動して、次の山城に向かいます。 |
■ 長水山城 長水山城(長水城)は、文和年間(1352〜56)播磨守護であった赤松則祐が長水山山頂(標高585m)に築城しました。長水山城の赤松氏は、廣瀬氏と名乗ります。 1441年、嘉吉の変以後は、広瀬氏から宇野氏へ城主が変わり、1580(天正八)年、羽柴秀吉に攻められ落城しました。 |
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宍粟市山崎町宇野側の伊水小学校の構内に車を停めさせてもらいました。今日は学校は休みなので。 |
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午後、二つ目の山城登りです。疲労がたまってます。 きついです。はあはあ、何回も休みながら登って行きます。 |
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登山道は、結構荒れています。 木の柱が乱れています。 |
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ここで道が分岐します。 ちゃんと頂上への標識がありました。 |
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お寺のお坊さんとご家族が住んでいる家でしょうか。 |
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石垣が積んであります。 |
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登り55分で、頂上に着きました。 この頂上から、眺めがよかったです。 |
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登ってきた方とは反対側の眺めです。 |
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頂上には、お寺があります。ここまで車では来れないのです。どうして、こんな所に建てるのか不思議です。 |
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頂上の木々は、まるで台風でなぎ倒されたように倒れていました。 |
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下りは、45分で下山しました。 |
姫路駅に戻ります。pm4:20ごろ、姫路駅に着きました。 新大阪に向かい、予約してあった、新大阪発の新幹線になんとか、間に合いました。 今日は、前から行きたかった山城に登れて満足です。 山登りは、終わると達成感があります。 しかし、脚には、すでに筋肉痛の兆候が現われています。 脚が非常にだるいです。 まあ、なんとか無事、家に帰ってこれて、感謝します。 |