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戦国大名の北条早雲,宗瑞,こと伊勢新九郎長氏の始まりの城です。
北条早雲は初め伊勢新九郎長氏と称し、駿河守護今川義忠の側室であった妹を頼り、今川氏に身を寄せていました。
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文明8年(1476年)義忠が急死すると、その後の相続争いに今川氏親を助けて功があり、長享2年(1488年)頃、富士郡下方12郷を与えられ、興国寺城主となりました。
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興国寺城跡は,平山城です。本丸の上部の方を、新幹線が通っています。
土塁を登っていきます。 |
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本丸跡です。 |
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城の周りは高めの土塁で囲まれています。 |
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北側には,深い谷のような堀割があります。 |
■ 大中寺
大中寺は,夢窓国師が創建したというお寺です。
早春の梅が有名でもあります。
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ちょうど本堂を改装しているところでした。 |
■ 国清寺(こくせいじ) |
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臨済宗円覚寺派、天長山国清万年禅寺。
畠山国清が康安元年(1361)に創建した臨済宗の古刹です。
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応安元年(1368)上杉憲顕が大いに修築して大きな寺としました。足利義満の時は関東十刹に加えられました |
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■ 韮山城跡
韮山城は,北条早雲が,堀越公方足利茶々丸を滅ぼした後,居城としたところです。韮山城
最後死ぬときも,この城で死んでいます。
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韮山城は、北側を池で囲まれています。 |
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韮山高校の校舎です。遠くに、うっすらと富士山が見えます。 |
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本丸へ登る階段です。 |
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本丸跡 |
■ 蛭ヶ小島 |
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韮山城跡から比較的近いです。 |
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昔は湿地帯だったのでしょう。
ここに、平治の乱で配流になった、源頼朝が、30年以上住んでいました。 |
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頼朝と政子の夫婦の銅像です。 |