平成19年6月 松島〜仙台
■ 円通院 |
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円通院は瑞巌寺の西隣にあり、仙台二代目藩主 伊達忠宗の次男光宗の廟所です。 |
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円通院の庭園もなかなかいいです。 |
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境内いたるところにコケが生えており、コケ寺として訪れる人々に安らぎを与えています。 |
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光宗の御霊屋(慧殿・国重要文化財)は、支倉常長がヨーロッパから伝えた西洋文化の影響が強く、 厨子の右扉の内部には日本最古といわれる西洋バラが描かれています。 金箔の地に白・赤・緑の三色を用い、 材料には緑青やサンゴを使用しているので、永久に変色することはありません。 |
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バラ園があります。 |
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■ 瑞巌寺 瑞巌寺、正式名称を「松島青龍山瑞巌円福禅寺」といいます。 |
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松尾芭蕉は、弟子の河合曾良を伴って、奥の細道の旅に出て、松島に立ち寄ります。 以下、「奥の細道」より 〜 元禄2年(1689年)5月 十一日、瑞岩寺に詣。当寺三十二世の昔、真壁の平四郎出家して入唐、帰朝の後開山す。 |
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法身窟 真壁平四郎は、松島のとある洞窟に住んで、修行をしていました。 ここに、偶然、諸国行脚中の北条時頼が立ち寄ります。 この出会いにより、平四郎は、北条時頼に見込まれ、松島の円福寺の開山となりました。 |
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瑞巌寺は、伊達政宗の菩提寺です。 現在の建物は、慶長14年(1609年)、 政宗が安土桃山様式の粋をつくし、5年の歳月をかけて完成させたものです。 建築にあたっては、 諸国から名工130人を集めたほか、建材も熊野山から取り寄せるなど、奥州の覇者としての意気込みが伝わります。 特に唐戸や欄間、あるいは襖や床の間の絵画は、豪華そのものです。 |
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本堂(方丈)(国宝) 入母屋作造・本瓦葺きの本堂は、10室の部屋で構成されています。京都・根来の大工衆が技を競いました。 |
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庫裏(国宝) 禅宗寺院の台所で巨大さと妻飾りの彫刻、白壁と木組みのコントラストが美しく、屋根には煙出しがあります。 |
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■ 五大堂(国重要文化財) 松島のシンボル・五大堂は、慈覚大師円仁が円福禅寺(瑞巌寺の前身)を開いた際、「大聖不動明王」を中央に、「東方降三世」、「西方大威徳」、 「南方軍荼利」、「北方金剛夜叉」の五大明王像を安置したことから、五大堂と呼ばれています。 |
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現在の建物は、 伊達政宗公が慶長9年(1604年)に再建したもので、桃山式建築手法の粋をつくして完工したものです。 |
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五大堂から見た松島の海です。 |
■ 大崎八幡宮(国宝) |
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大崎八幡宮は,1607年(慶長12)に伊達政宗が建立した仙台総鎮守です。 |
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黒漆塗りを基調に豪華な金箔装飾・胡粉彩色・彫刻の調和が見事としかいいようがないです |
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社殿は修復を終えたばかりで,絢爛豪華です。 |
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社殿全体が国宝に指定されています。 |
■ 青葉城跡 |
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本丸跡にある,伊達政宗の銅像です。 青葉城は,標高120m、東と南を断崖が固める天然の要害に築かれた伊達藩の居城でした。現在では,残念ながら城は消失し、石垣と再建された隅櫓が往時をしのばせています。 |
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ここから,仙台市内を一望できます。 |
青葉城跡のレストランで、牛タン定食を食べました。 売店も揃っていて、久しぶりに、萩の月をお土産に買って帰りました。 これから、帰路に着きました。 |