平成19年9月22日
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大阪へ
今日から、3連休です。 久しぶりに、旅に出ることとしました。
夏休みに検討していた所へは行けそうもないので、取りあえずというか、関西に行きます。
今日の午前中は、いろいろ用事があったので、それを済ませて、東京発,午後3時台の新幹線に乗りました。
やはり、新幹線は楽でいいですね。 ビールを飲んで、寝ていても、ちゃんと着きます。
車で関西まで来るのは、たいへんですね。
大阪へ着いたのが、もう6時頃なので、今日は何も観光してません。
なんだか、大阪は夕方になっても、ちょっと暑いように思います。
平成19年9月23日
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高野山
今日の天気は、曇りときどき晴れです。
初めて、高野山を訪れました。
難波駅から、南海鉄道で、高野山へ向かいます。
南海鉄道も高野山に近づくにつれ、勾配が急になってきます。
極楽橋駅からは、ケーブルカーに乗ります。
高野山は、標高800m以上の山の上の平地に、町があります。
高野山の気温は、23〜25度のようでした。下界より気温が低いです。
歩いていても、ほとんど汗はかきません。
ケーブルカー高野山駅に着き、そこからバスで高野山市街へ向かいます。
歩いていくのは、きついでしょう。
まず、バスで大門へ向かいました。
高野山は、伽藍の数、配置、風格、さすが真言宗の聖地です。
建物は、これまで何度も火災等に遭い、現在の建物は、ほぼ、江戸時代以降の再建の建物です。
高野山には,お寺がたくさんあります。そのなかで,宿坊を営んでいるお寺がたくさんあります。夏は平地より気温が低いので,夏の避暑地としてもいいようです。
大門
(重要文化財)
高野山の表玄関にあり、神社の鳥居のような位置づけでしょうか。
現在の建物は1705年の再建で、高さは25mあります。大きいですね。
この近くに気温の電光表示があり、気温23度でした。たぶん、下界である大阪の街は、今日も30度を超えていたでしょう。
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堂上伽藍
金堂
昭和7年(1932)の再建。高さ23.73m。
高野山御開創当時は講堂と呼ばれて、平安時代半ばから一山の総本堂として重要な役割を果たしてきました。
本尊は、高村光雲作の薬師如来(秘仏)です。
大塔
昭和12年(1937)の再建。高さ約48.5m。
弘法大師は高野山開創に当り、この大塔を真言密教の根本道場として建立されたので根本大塔といいます。
朱塗りがきれいですね。中の仏様も大きいです。
本尊は胎蔵大日如来と金剛界の四仏です。
御影堂
弘化4年(1847)の再建。
准胝堂
孔雀堂
西塔
天保5年(1834)の再建。高さ14.2m。
三鈷の松
大会堂
愛染堂
不動堂
(国宝)
三昧堂
東塔
昭和59年(1984)の再建。
東塔から、大塔を望む。
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金剛峯寺
この寺は、当初「青厳寺(せいがんじ)」と呼ばれ、豊臣秀吉が母の菩提を弔うために建立したものでした。豊臣秀次が、秀吉の怒りを買い、切腹したのがこの寺です。
その後、明治に入り、青厳寺ではなく、金剛峯寺と呼ばれるようになりました。
昔は、金剛峯寺というと、高野山全体の総称でしたが、現在では、金剛峯寺というとこの寺のことをいいます。
金剛峯寺
(こんごうぶじ)
文久3年(1863)の再建です。
蟠龍庭
(ばんりゅうてい)
この庭園がよかったです。
石庭としては、わが国最大の庭(2340平方メートル)です。
石は四国産の青い花崗岩140個、京都の白砂が使われています。
建物の周りが全部、石庭です。
廊下か畳に座って、しばらく、ぼーっとしたかったのですが、そういうスペースはありませんでした。
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普門院
普門院の庭園は、枯滝の石組等小堀遠州の作と伝えられ、名園です。
この寺も宿望をしているようです。
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金剛三昧院
北条政子が、子・源実朝(鎌倉幕府三代将軍)の菩提を弔うために寄進した寺院。
かつては禅・密・律の修行道場で、鎌倉幕府、室町幕府との深いつながりの中で多くの高僧を輩出したという。
多宝塔
(国宝)
高野山最古の建物で、全国的には石山寺に次いで古い多宝塔です。
金剛三昧院で育てている花です。
きれいです。
金剛三昧院で飼っている犬です。
大人しそうな犬でした。
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高野山 奥の院
加賀前田家墓所
曾我兄弟供養塔
薩摩島津家墓所
森忠政墓所
小田原北条氏墓所
多田満仲墓所
武田信玄・勝頼墓所
上杉謙信廟
南海鉄道創始者 松本重太郎翁墓
結城秀康石廟(重要文化財)
歴史上の名のある武将の墓が、余りにもたくさんあるので、途中で写真を撮るのが面倒になり、やめました。
奥の院には、弘法大師廟があります。撮影禁止になっていました。
これで,もう歩き疲れたので,帰ることにしました。
バス停までてバスに乗り,高野山のケーブルカー駅まで行きます。
ケーブルカーで南海鉄道 極楽寺橋駅まで下り,南海鉄道は特急に乗り,大阪 難波駅まで帰りました。