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2004年(平成16年)7月1日、ユネスコの世界文化遺産に「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録されました。 |
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参道の長い石段の上は、右に青岸渡寺があり、左は朱の大鳥居と大社の境内が続いています。
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那智大社の鳥居 |
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現在の位置に社殿が創建されたのは仁徳天皇の御世(317年)で、その後、平重盛が造営奉行となって装いを改め、やがて、織田信長の焼討に遭ったのを豊臣秀吉が 再興し、徳川時代に入ってからは、将軍吉宗の尽力で享保の大改修が行われています。
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境内には、神武天皇東征の道案内をした八咫烏が石に姿を変えたという烏石の他、白河上皇お手植えの枝垂れ桜や平重盛が植えたという樟の木(樹齢約850年)が大きく茂っています。 |
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青岸渡寺
熊野三山の他の2社(熊野本宮大社、熊野速玉大社)では、明治の神仏分離令により仏堂が廃されたましが、那智では観音堂が残され、やがて青岸渡寺として復興しました。
青岸渡寺は西国一番札所です。 |
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那智の大滝は、日本3名瀑の一つ、133mの高さからが轟音とともに落下しています。 |
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熊野那智大社の社伝には、神武天皇が熊野灘から那智の海岸に上陸したとき、原生林の間に光り輝くこの大滝を見て、神として祀ったと伝えています。そして、その守護のもとに、八咫烏の先導を得て無事にヤマトに入ることができたといいます。 |