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総門は竜宮造りで、七尾城(益田城)の大手門を移築したものと伝えられています。 |
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もとは天台宗の崇観寺という寺院でした。
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室町時代に益田宗兼が、現在地に医光寺を建立。
庭園は雪舟が文明年間に益田に滞在したときに作庭したものと伝えられ、国の史跡および名勝に指定されています。 |
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この庭園は、寺の裏山の「法面」を上手く使って作られた「池泉回遊式庭園」です。こじんまりとした感じの庭園です。 |
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漂白の暮らしを続けた雪舟は、生涯で二度にわたり益田で過ごしています。
一度目は58歳のとき、七尾城城主、益田兼尭の招きにより訪れ、崇観寺(現在の医光寺)の5代目住職として数年を過ごしました。
雪舟庭園の傑作といわれる「医光寺」「萬福寺」の庭は、この最初の来訪の際の作です。
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中国の伝説上の蓬莱神仙島を表現しているといわれ、シダレ桜や楓の紅葉が四季折々の色を映します。
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遠山石
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雪舟は、遣明船での中国行きをきっかけに、忠実に中国風の水墨画を描くことの迷いから解き放たれ、「ただ自分が思う風景の本質と精神を描けばよい」という境地に達したといいます。
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禅寺の山水庭にサクラがあることは珍しいことです。 |
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医光寺庭園は、見る者をぐいぐい引きつける、雪舟の描く山水画の世界。裏山の斜面を巧みに利用し、鶴をかたどった池に亀形の島が配されている。
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医光寺には、雪舟の墓もあります。
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