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新しい山門が建っています。 |
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陶氏はもともと山口に在住していましたが、都濃郡(山口県徳山市近辺)に基盤を移し、代々周防の守護代として大内氏を支えてきました。 |
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1551年、陶晴賢(はるかた)が主君大内義隆を山口に急襲し、大内家の実権を握りますが、1554年、厳島合戦にて毛利元就に敗れ、自身は宮島で自刃します。 |
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しかし陶晴賢の息子長房ら一統が本拠富田若山城を捨て、ここ龍文寺に立てこもります。 |
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毛利軍は、長房らを攻めあぐね、地元の人々の念仏踊りの一行に紛れ込んで攻めこんだと言われています。
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歴代陶氏の墓へ通じる石段を登っていきます。 |
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境内裏手の山中には、歴代陶氏の墓が整然と並んでいます。
50〜60基ある墓石のうち、人物が特定できるのは陶弘護の岳父・益田兼堯と陶興房夫人の二基のみといいます。 |
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