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バス停から登り坂を10分くらい登ります。急でした。(^_^;
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立派な造りの山門が迎えてくれます。
ここで拝観料を支払います。
善峯寺は、神経痛・腰痛、入学成就の祈願所で、御利益があるそうです。
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善峯寺は、平安時代の長元2年(1029年)、源算が創建したものです。
鎌倉時代初期には慈円が住したことがあり、このころ後鳥羽上皇直筆の寺額を賜ったことによって寺号が善峯寺と改められました。
応仁の乱に巻き込まれて伽藍が消失したのち、江戸時代になってから桂昌院の寄進によって再興されました。
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桂昌院は、徳川幕府3代将軍・徳川家光の側室で、悪名高き、犬公方 5代将軍綱吉の生母となった人です。名は玉。
玉????
桂昌院って、玉の輿じゃないか思って、wikiで引いてみました。
☆ 玉の輿(たまのこし)〜『ウィキペディア(Wikipedia)』
玉の輿とは、女性が金持ちの男性と結婚する事で、自分も裕福な立場になる事。男性が金持ちの女性と結婚する場合は、俗に「逆玉(ぎゃくたま)」と呼ばれる。
<お玉説>
玉の輿の玉とは、江戸時代のお玉という女性のことだとする説がある。八百屋の娘として産まれたお玉は、三代将軍徳川家光の側室となり、五代将軍となる綱吉を産んだ。綱吉が将軍となった後に、官位は従一位となったが、これは春日局の従二位すら超えており、女性としては最高位である。八百屋の娘が将軍の側室となることによってそのように登りつめたことより、玉の輿の語源はこのお玉だというものである。
桂昌院は、玉の輿の原形だったのですね。(^^;
源頼朝の妻、北条政子は、従二位。
秀吉の糟糠の妻、ねね、北の政所は、従一位。
いくら徳川幕府の力が強いと言っても、桂昌院の従一位はすごすぎます。
桂昌院は、幼少の時、この辺りで育ったとのこと。 |
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本堂前から多宝塔へいく途中の桜のピンクが鮮やかです。
満開ですね。 |
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多宝塔 重要文化財
1621年に再建されたものです。優美な姿をしています。 |
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桂昌院お手植えのシダレザクラ
ちょうど、8分咲きぐらいでしょうか。 |
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善峯寺から、京都市外が遠望できます。 |
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遊龍の松 天然記念物 樹齢約600年の五葉松で幹が横に這うように伸びていることからこの名が付けられました。長い、大蛇のような松で、地面に水平に伸びています。当然、支え木がありますが。
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参拝を終え、最終バスに乗り、JR向日町駅に戻ると、午後5時を過ぎていました。
これで、今日の日程を終え、ホテルへ戻りました。
この日は、大阪から兵庫県姫路市へ行ったり、戻って、京都へ来たりと、ハードな日でした。(^^;
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