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ここに初代頼直から十代、二百九年間の長きにわたる天童山城時代は終わり、以後この地に再び城が築かれることはありませんでした。 |
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古城跡は、現在は、 舞鶴山公園となっています。
天童市は、将棋で有名です。 |
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ここで桜の頃、人を将棋の駒に見立てたプロ棋士による「人間将棋」が行われます。 |
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吉田大八公像
舞鶴山公園にいらっしゃいました。
幕末の天童藩の家老で、奥羽列藩同盟と新政府軍の板挟みになり、詰め腹を切らされました。 |
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天童古城
となりに、愛宕神社がありました。 |
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舞鶴山を降り、麓に行くと、空が晴れてきました。 |
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■ 建勲神社(たけいさおじんじゃ) |
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舞鶴山の中腹にあり、天童藩の始祖である織田信長を祀った神社です。
天童藩の織田氏は、信長の次男、信雄の子孫です。 |
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芭蕉の句碑がありました。 |
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■ 東根城
所在:東根市東根
東根城跡には、日本一の大ケヤキが立っています。
東根城は当初小田島城と称し、貞和3年(1347)に小田島長義が築いたのが始まりとされます。
その後、応永2年(1395)に天童頼直の四男、頼高が小田島城に入り東根氏を名乗りました。戦国時代末期になると最上氏と天童氏の争いが激化し、東根城は落城しました。
現在は本丸部分が東根小学校の敷地となっています。 |
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本丸跡に聳える東根大ケヤキ(国指定特別天然記念物)は、日本一の大きさを誇ります。 |
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大けやきは、高さ28m、幹周り16m、樹齢1500年以上です。西暦500年以前から、ここで生きてきたということです。
その頃って古事記の時代です。
よくぞ、今まで枯れたり、伐採されなかったものです。 |
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主幹の上の方は、枯れたか、雷により消失したか、無くなっているようです。
しかし、とても太い幹です。 |
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■ 溝延城跡
所在:山形県西村山郡河北町溝延 |
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溝延城跡は河北町の南、溝延の溝延城址公園にあります。
溝延城は寒河江大江氏の支城として南北朝時代に築かれた平城と伝えられています。 |
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■ 寒河江城
所在:山形県寒河江市丸内1丁目
寒河江城は、鎌倉幕府政所別当大江広元が寒河江荘を与えられ、嫡男大江親広が寒河江に居館を構えたのが始まりです。
大江氏は南北朝時代、南朝方で、山形の斯波(最上)氏と対立しましたが敗北し、時氏の代で北朝に降りました。
大江時氏は寒河江城を修築して三重の堀をもつ大きな平城としました。
しかし、天正12年(1584年)出羽統一を目指す山形城の最上義光との戦いに敗れ、当主大江高基は大江町貫見の御楯山上まで逃げ、そこで遂に自刃して大江氏は滅亡しました。 |
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現在では、曲輪も空堀も住宅地となり消滅し、寒河江小学校正門脇に石碑と案内板が立っているだけです。 |
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寒河江城は、寒河江小学校の敷地が本丸でした。 |
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■ 楯山(日本一)公園
所在:山形県西村山郡大江町左沢882-1
昔ここには、寒河江荘の地頭職を相伝した大江氏の一族左沢氏によって構築された左沢楯山城跡がありました。現在は、公園になっています。 |
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駐車場のスペースは、あまり無いようでした。 |
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東に蔵王・奥羽山脈、西に朝日連峰、眼下には最上川を一望でき、眺めの良さから日本一公園ともいわれています。 |
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公園直下で、最上川が蛇行し、直角に曲がっています。 なかなか雄大な眺めです。 |
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■ 慈恩寺
所在:山形県寒河江市 |
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慈恩寺は、奈良時代に聖武天皇の勅命によって開基されたと伝えられている古刹です。
江戸時代、寺領2千8百石あり、東北随一の寺だったそうです。 |
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立派な仁王門です。 |
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重厚な本堂、山門、薬師堂、三重塔などが立ち並んでいます。 |
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国重文の薬師三尊像、十二神将が印象的でした。 保存状態がよいです。(補修されているのでしょうか?)
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三重塔
三重塔のご本尊は、大日如来像です。拝観はできませんでした。
大日如来像は、鎌倉時代の常陸国(茨城県)の武将 笠間時朝が常陸国小山寺にを寄進して、のちに慈恩寺三重塔へ移ったものです。
なぜに、茨城から山形へと不思議です。 |
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この日、最後に、安国寺を訪ねました。
■ 太平山安国寺
所在:山形県東村山郡山辺町大寺
安国寺は南北朝時代、足利尊氏・直義兄弟が夢窓疎石の取り計らいで、全国に66ヶ寺が建立されました。
戦乱で戦死した将兵の菩提を弔うため、南朝の勢力をけん制するため、軍事的拠点とするためなどが理由とされています。 |
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安国寺楼門 山辺町指定文化財
なかなか立派な山門があります。 |
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出羽国の安国寺は、延文元年(1356)に奥州探題斯波家兼の次男兼頼によって開基されました。 |