足柄峠から、河村城へ来ました。
■ 河村城
所在:神奈川県足柄上郡山北町山北
河村城は、平安時代末期に藤原秀郷の流れをくむ河村秀高によって築かれたとされます。
河村城がある丘陵は城山と呼ばれ、標高は約225mです。
建武の新政・南北朝時代に入ると、河村氏は新田氏に協力し南朝方につき、北朝方の足利尊氏と対峙します。
文和元年(1352年)から2年間、河村氏は新田義興・脇屋義治とともに、この城に立てこもり、畠山国清を主将とする足利尊氏軍の攻撃をしのぎました。
しかし、南原の戦いで敗れ落城し、河村一族の多くは討死、新田義興・脇屋義治は中川城を経て甲州に逃れたとされます。
戦国時代に入ると後北条氏の支配を受けるようになり、元亀年間(1570〜1573年)には甲斐の武田信玄の侵攻の際に補強され、その後、周辺の諸城とともに後北条氏と武田氏の間で争奪合戦があったとされます。
天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原の役で、この城は落城し廃城となりました。
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なかなか、場所が分からず、反対側の山へ登ってしまいました。
大きな案内看板が出ていませんでした。
盛翁寺という山の麓にある寺を目標に行くと判りやすいです。 |
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盛翁寺の先に、やっと 河村城址の石碑がありました。
この先に、車の駐車スペースがあります。 |
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車を駐車できるようなスペースがあり、トイレが整備されています。
ここから、車を降りて坂道を登っていきます。 |
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よく整備された道です。 |
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10分たらずで、主郭へたどり着きます。 |
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本城郭
河村城跡は、河村城址歴史公園として整備されています。
広い広場です。隅っこに、お社があります。 |
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河村城址碑
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堀切に橋がかかっています。 |
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蔵郭です。 |
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発掘されたエリアで、未だ整備は完了していません。
この先には、近藤郭、大庭郭、多地屋敷などが連なっています。 |
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小郭と茶臼郭の間にある、畝堀です。
しばらく雨も降っていないので、水は、底に溜まっていませんでした。 |
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小郭 |