 |
駐車場に車を停め、大手口から登っていきます。 |
 |
古い石垣が今も残っています。 |
 |
大きな石が、ごろごろしています。 |
小田原攻め
秀吉が関白宣下を受けたのは天正13年7月のことでした。天正15年には九州を平定、翌年には、聚楽第に御陽成天皇を迎え、行幸の儀を執り行いました。
この行幸中、後陽成天皇が見守る中、家康をはじめとする有力諸将に、朝廷および関白秀吉への絶対的服従を誓わせました。ここに至り、秀吉の権威は不動のものとなり、その政権は法的正当性を得ました。
だが、なお臣従の礼をとらないのは小田原の北条氏政・氏直父子でした。
天正17年末に決した秀吉の小田原征伐軍の動員兵力は、氏政・氏直の想像力をはるかに超え、総兵力約20万の軍勢が一斉に小田原領になだれ込んできました。
秀吉自身は、天正18年4月5日に早雲寺に入って本陣とすると、直ちに石垣山一夜城の築城に着手しました。
6月25日、ついに天守以下が竣工します。小田原側の樹林が一斉に伐り払われて、小田原城の頭上に秀吉の一夜城が忽然と姿を現わしました。
26日早暁、一夜城の出現に小田原篭城の将兵は戦意を喪失。周辺の支城群が次々と開城・落城する中、7月5日、小田原城はついに降伏しました。
石垣山は、小田原北条氏の始祖・北条早雲が牛の角に松明をくくり、大森氏の小田原城を攻めた際も、この地が早雲の陣所になったと言われています。 |
 |
二の丸(馬屋曲輪) |
 |
二の丸は、平坦で、とても広いです。 |
 |
ここにも石垣があったようです。石は、穴太衆により野原積みされました。 |
 |
本丸へと登ってきました。
展望台があり、遠くまでよく見えます。
相模湾がきれいです。 |
 |
小田原市街地です。 よく見ると真ん中に小さく、小田原城の天守閣が見えます。 |
 |
本丸に、小高い山があり、そこが天守台跡とのこと。 |
 |
天守台跡です。 |
 |
大駐車場から見た、石垣山城跡の山です。 |
 |
河津桜の花が、数輪、咲き始めていました。 |
 |
石垣山の中腹から見た小田原市街。 |
石垣山城 → 小田原城・早雲寺 → 山中城 → 駿府城、三保の松原
|