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「観瀾」とは、さざ波を観るという意味です。観瀾亭は、もともと豊臣秀吉の伏見桃山城にあった茶室を政宗がもらい受けて江戸の藩邸に移築していたものを二代藩主忠宗が1本1石も変えぬようにと命じ海路ここに移したと伝えられています。 |
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建物は、東西に向き京間18畳2室からなり、四方縁をめぐらした簡素明快な建築です。 |
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床の間の張付絵や襖絵は壮麗な極彩色で画かれており、軽快な起りを持つ屋根からして桃山時代の建築であると考えられています。
藩主の納涼、観月の亭として「月見御殿」とも呼ばれました。 |
併設して、松島博物館があり、伊達氏の大名道具などを展示しています。 |
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■ 三聖堂 (松島町指定文化財)
三聖堂は、天和2年(1682)瑞巌寺101世鵬雲によって建てられました。
堂は方3間の素木造、屋根は宝形造で茅葺の素朴端正な建物です。 |
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堂内正面中央に聖観世音菩薩、左に達磨大師、右に菅原道真を安置したことから三聖堂といいます。創建以来、屋根替え以外の修理は行われていないそうです。 |
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ちょうど紅梅を今を盛りと咲いていました。4月なんですけどね。 |
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紅白の梅です。
観光客がここで写真を撮り合っていました。 |
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■ 天麟院(てんりんいん)
天麟院は、伊達政宗の正室・愛姫(めごひめ)との間に生まれた娘・五郎八姫(いろはひめ)の菩提寺です。
五郎八姫は、徳川家康の六男、松平忠輝の正室でした。
忠輝は父である・家康の政略方法に反発を強め、大阪夏の陣遅参等により、高田65万石を取り上げられ伊勢へ配流されたため、五郎八姫は離縁されて仙台へ戻り仏門へ入りました。
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五郎八姫霊屋
政宗は不幸な娘に同情して娘の信仰生活を全面的に支援したといわれています。1661年没、68歳でした。 |
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墓前左側の大樹のハリ樅は、霊屋創建当時に植えられたもので、松島町の天然保存木です。 |
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現在、松島の瑞巌寺では、平成20年から平成30年3月頃までの期間で、平成の大修理を行っており、本堂、御成門、御成玄関などは非公開となっています。
そのため、国宝 庫裏、陽徳院御霊屋 寶華殿が特別公開となっていました。
■ 陽徳院御霊屋(寶華殿・ほうげでん )
伊達政宗公の正室陽徳院田村氏愛姫(1568〜1653)の墓堂で、万治3年(1660)孫の綱宗によって造営されました。
平成18年から3年をかけ創建当初の豪華絢爛な姿に復元されました。外面全てを黒漆で塗られ、桟唐戸や蟇股は金や極彩色に彩られています。荘厳でした。(残念ながら、写真撮影は不可でした。) |
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■ 大高森
奥松島にある大高森に来ました。 松島四大観(しだいかん)は「多聞山の偉観」「富山の麗観」「扇谷の幽観」と「大高森の壮観」です。 |
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表登山口からは20分程度で登れます。
結構、きつい登りでした。
大高森の壮観は、近景の俯観から遠景の仰観に至る垂直的な視野が最大で、多島海の景色を満喫できます。 |
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遠くに、石巻の街並み、牡鹿半島が見渡せます。 |