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天寧寺は、会津の蘆名氏の菩提寺でした。 |
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天寧寺の裏手の墓地には新撰組の近藤勇の墓があります。
駐車場から3、4分山の方へ登っていった所にあります。
案内標識があるので、判りやすいと思います。 |
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土方歳三が遺髪などを持っていて会津戦の折、ここに仮埋葬したといいます。
4月25日の近藤勇の命日には、墓前祭りが開催されます。
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会津に、近藤勇の墓があるとは、不思議な思いでした。 |
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■ 会津松平家廟所
会津の東山温泉の入口、院内の山麓の鬱蒼とした森のなかに、巨大な亀の背に乗った松平家代々の碑石が立ち建ち並んでいます。
松平家、藩祖保科正之以来、代々神道を重んじており、廟所は神道に則っています。 |
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石段を登り、廟所へ向かいます。 |
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シャガの群落があり、ちょうど白い可憐な花を咲かせていました。 |
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シャガの花 |
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初代藩主 保科正之は霊号を「土津」といい、猪苗代土津神社に祀られていますが、2代正経以降の墓は、この御廟にあります。 |
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墓は神道に則り、亀石の背にたつ碑石、位階を表す表石、その奥には霊をまつる鎮石の三体からなっています。 |
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こういう墓所は、初めて見ました。
とても神聖な場所であるように思えます。 |
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戊辰戦争で、渦中の人となった会津藩最後の城主9代松平容保は、明治に入ると日光東照宮宮司や二荒山神社の宮司などに任ぜられました。
明治26年、59歳で病に倒れ逝去し、大正6年には忠誠霊神と号され、先祖の霊が眠る院内の御廟に移葬されました。 |