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極楽寺への山門前から、参道の両側にアジサイが今を盛りと花を咲かせています。観光客が多いです。 |
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アジサイの花はいろんな色があり、色とりどりきれいです。 |
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水色、ピンク、紫など同じ木なのに、花の色が違うのは不思議です。 |
 白いアジサイ花です。 |

こちらはピンク色です。 |
■ 極楽寺
極楽寺は、鎌倉唯一の真言律宗の寺です。本尊は釈迦如来。
開基は、北条義時の三男・重時、開山は忍性です。
北条重時は、執権を補佐する連署まで務めた人でした。寺の完成を見ず弘長元年(1261)に重時は亡くなり、子・長時と業時が父の志を継いで完成させました。
極楽寺は、最盛期は七堂伽藍を備え、大小49の支院がありました。
開山の忍性は極楽寺で慈善救済の大事業を営みました。
施楽院・悲田院・療病舎などの建物が並び、日夜多数の病者を収容し、貧者には無料で加療・施薬をしたということです。
精力的な活動をした忍性は、さらに土木事業も起こし、各地に橋を189ヶ所、道は71ヶ所もあったということです。このことから、忍性は生き仏と仰がれていました。 |
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極楽寺は、元弘三年(1333)新田義貞の鎌倉攻めの際の戦火でことごとく焼失してしまいます。
今では、本堂前にある薬草をすり潰した石臼と石鉢が、忍性の大事業を示しています。
忍性は後醍醐天皇より菩薩の称号を貰っています。
境内は、写真撮影が禁止でした。 |
■ 長谷寺 養老5(721)年、大和長谷寺の開基 徳道上人が一本の楠木の大木から二体の十一面観音を作り、1体を大和の長谷寺に安置し、もう1体は、「どこか有縁の地に流れ着いて衆生を救いたまえ」と祈って海に流しました。それが、天平(736)年、三浦半島に漂着して浦人の手で引き上げられ、藤原房前が鎌倉の地に新長谷寺を創建し、徳道上人を招いて寺を開きました。
康永元(1342)年には、足利尊氏が本尊に金箔を施しています。
明徳3(1392)年には、足利義満が光背を作りました。
徳川家康は、その後消長の激しかった長谷寺の再興を図り、観音堂など慶長12(1607)年に再建しました。 |
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花菖蒲が咲き、ちょうど見頃となっていました。 |
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長谷寺は、アジサイも多くあって、見頃を迎えていました。
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■ 高徳院
鎌倉大仏の名で親しまれています。
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大仏の高さは11.31m、重量約121tあり、現在の金鋼仏は1252年(建長4)に鋳造が始められ、仏像としては鎌倉で唯一の国宝に指定されています。
完成当時は全身に金箔が施され、大仏殿内に安置されていましたが、その後地震や津波で大仏殿が崩壊し、露座の大仏になっています。 |
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境内には、大仏を詠んだ与謝野晶子の歌碑のほか、3基の文学碑が立っています。 |
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高徳院も、アジサイの花がきれいでした。 |
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