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小雨まじりの天候です。 |
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二階堂家住宅前の道路に車を停め、弓張城跡への階段を登っていきます。。 |
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もうすぐ午前7時なのですが、雨のためまだ暗いです。
城は独立して聳える標高103mの城山に築かれています。 |
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弓張城に入りました。
森の中なのでとても暗いです。 |
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弓張城がある城山の麓に、四十九所神社があります。この神社は流鏑馬が有名です。 |
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神社の前を通る道路はそのために半分を未舗装で残しています。 |
■ 肝付兼重の墓所・盛光寺跡
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盛光寺跡は、肝付町役場とは高山川を挟んでちょうど対岸にあります。 |
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肝付氏累代の墓地とはいいながら、その慕域は極めてせまいものです。 |
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肝付兼重の墓所
肝付兼重は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将です。兼重は、1335年末から南朝に与して各地を転戦し、九州における南朝勢力の拡大に貢献しました。1349年、北朝側の石井氏を攻めましたが、まもなく病死し、家督は子の肝付秋兼が継ぎました。 |
■ 大隅 高山城
所在:鹿児島県肝属郡肝付町新富字本城
高山城は、大隅の覇者として勢力を誇った肝付氏宗家が兼俊から16代にの長きにわたって居城でした。 |
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本城小学校跡の隅に車を停め、歩き始めます。 |
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田んぼの中を歩いていきます。 |
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大手口から城に入ります。 |
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高山城は、三方を囲まれた丘陵上に築かれ、三段に分かれた本の丸を中心に幾つもの曲輪が配置され土塁や枡形などの遺構もよく残っています。
城跡の道は木の階段によりよく整備されています。 |
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本丸跡
本の丸北側の奥郭との間には、馬乗り馬場という空堀があります。 |
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二の丸跡 |
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高山城跡の中を歩いていたら、あっという間に約1時間が経ってしまいました。 |
■ 大慈寺
所在:鹿児島県 志布志市志布志町志布志2-1-19
大慈寺は禅宗寺院で、興国元年(暦応3年、1340)に楡井(にれい)頼仲によって建立されました。 |
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楡井氏は信濃国を出自とする村上源氏の一族といわれています。頼仲は南朝方として志布志に拠点を構えていました。 |
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門前には、石像の仁王像があります。
腕が欠けていたり、廃仏毀釈の名残でしょうか。 |
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お寺に入ると、左手に枯山水の庭園があります。
石造りの亀があります。 |
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大慈寺 本堂
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方丈裏手にも枯山水の庭があり、ここにはウサギがいました。 |
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楡井頼仲の墓
楡井頼仲は、懐良親王が九州に入ると呼応し、南九州における南朝方の中心人物となりました。
しかし、正平12年(延文2年、1357)に北朝方の禰寝(ねじめ)氏に敗れ、志布志で自刃ました。 |
■ 平山氏庭園
所在:鹿児島県志布志市帖 |
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平山氏庭園は、国指定文化財です。
当家の敷地は、古刹石峯寺の跡で、明治の廃仏毀釈の後は、代々、平山氏の居宅となっています。 |
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庭園は、江戸時代初期に作られた寺院庭園で、面積246平方m。作庭者は石峯寺時代の住職が関わったものと推定されています。 |
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志布志城跡を借景としながら、大岩盤の自然石とツツジ・サツキ刈り込みが見事な調和を見せています。 |
■ 志布志城(内城)
所在:鹿児島県志布志市志布志町帖字内城
国指定史跡です。駐車場が無いようなので、志布志小学校の駐車場に停めさせていただきました。 |
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志布志小学校の裏手から、入城します。 |
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人家の間を登っていくと、家が途絶え、山に入ります。本丸への登口です。 |
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道はよく整備されています。 |
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本丸へ続く、隣の曲輪です。 |
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本丸跡 志布志城は、南北朝時代に楡井氏が領していましたが、畠山氏と禰寝氏によって攻められ落城し、頼仲は弟頼重とともに胡麻ヶ崎城へと脱出しましたが、弟頼重は討死し頼仲も自害して楡井氏は滅亡しました。
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■ 天水氏庭園
所在:鹿児島県志布志市帖 |
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天水邸はその武家屋敷の一つで、江戸時代中期に作庭された築山枯山水様式の見事な庭園が今日でも見られます。 1956年に県の天然記念物に指定されました。 |
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住屋の縁先に置かれた自然石の上に据えられた手水鉢が、景観により深い奥行きを与え、また植裁生垣の背景には、志布志城を展望することができます。 |
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三尊石でしょうか。 |