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水野家累代の墓も、平成23年3月11日に起きた東日本大震災の影響を受け、墓石がかなり倒れていて、まだ修復に至っていませんでした。 |
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水野忠邦の墓は4.1メートル四方の石の玉垣に囲まれ、その中央に造られた墓石の側面には、忠邦の辞世の句が刻まれています。忠邦の墓自体は、損壊はしていませんでした。
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■ 山川不動尊(大栄寺)
所在地:茨城県結城市山川新宿311-1
結城市山川新宿にある大栄寺は、「山川のお不動さん」として、近隣市町村の人々から親しまれています。 |
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本尊の不動明王坐像は、平安時代平将門が京から持ち帰り、守り本尊としていたものといわれ、1601年(慶長6)大恵上人により、大栄寺にまつられました。
この不動明王は、実際には鎌倉時代に作られたもので、県指定文化財に指定されています。毎月28日は緑日で、多くの参拝客で賑わうといいます。 |
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山川不動尊は真言宗豊山派に属する明王山不動院大栄寺の本尊です。
寺伝によれば不動尊は弘法大師の作といわれ、平将門が守本尊として京都の東寺から関東に持ち帰ったものと伝えられ、天慶の乱で、山川沼に身を投じた将門の家臣とともに失われてしまいましたが、その後漁師の網にかかり、現在の地に安置され移されています。
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■ 結城廃寺跡
所在地:
結城廃寺跡は、上山川・矢畑地内、鬼怒川の右岸台地上に八世紀前半の奈良時代の始めに建てられ、室町時代の中頃まで、約700年間続いた大きな寺院跡です。現在、「結城寺北」や「結城寺前」などの地名が、かつてこの地に結城寺があったことを物語っています。
発掘調査により、回廊跡の内側から西に金堂跡、東に塔跡が見つかり、「法起寺式伽藍配置」であることが判りました。
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出土品から、非常に畿内色が強い寺院であることが窺えるそうです。また、「法成寺」とへら書きされた文字瓦があり、『将門記』にある結城郡法城寺にあたる可能性が高いことも指摘されています。現状は野原でした。 |
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■ 結城八幡瓦窯跡
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結城八幡瓦窯跡は、結城廃寺跡北東500mにあり、奈良時代の結城廃寺の屋根に使う瓦を生産した登窯の跡で、これまでの調査で4基の窯跡が見つかっています。 現状は、民家の裏山のような所です。駐車場は無く、仕方なく車は路肩駐車してきました。
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■ 結城家御廟
所在地:茨城県結城市大字結城2709
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ここには初代朝光から16代政勝までの結城家当主を含め計20基の五輪塔があります。御廟は周囲に堀を備え、塚状に土を盛り、土塁(どるい)をめぐらし、床面には大谷石を敷き詰めています。 |
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ここには、慈眼院という寺があり、江戸時代まで乗国寺に属していましたが、現在は廃寺となっています。
廟所を整備したという結城政勝は、分国法として著名な結城家法度(結城氏新法度)を定めた戦国大名です。 |
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■ 結城城跡
所在地:
結城城跡は、現在、城跡公園として整備されています。
結城城が歴史の舞台に登場するのは、1440(永享12)年の結城合戦で、天下の兵を引き付けて戦いがありました。
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結城城は長方形で標高40mの丘陵が利用され、南西面660m、北西面300mで、曲輪は四つで、空堀で仕切られ、背後を崖に守られ、平城でありながら要害堅固な城だったと考えられています。
1601(慶長6)年、結城秀康の越前福井への移封後、幕命により取り壊され、1703(元禄16)年結城水野氏によって同じ場所に築城されますが、明治維新の廃城令で取り壊されました。
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■ 玉日姫の墓
所在地:
ここに眠ると伝わる玉日姫にちなんだもの。
墓所に建つ碑は、浄土真宗の篤学の高僧・島地黙雷による。
玉日姫は、関白・九條兼実の七女として誕生。
浄土真宗の開祖・親鸞聖人の妻となる。越後に流された聖人が、赦されて関東に向かったとの知らせを聞いて、侍女の白河の局を伴い関東に下る。
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玉日姫は、この地方一帯で布教を続ける聖人を助け、自らも剃髪する。
聖人が京に戻ることになる際も、その教えを広めるため結城に留まる。
ここに草庵を結び生涯を送った。
現存する、石の玉垣に囲まれた宝篋印塔は、近世になってから、江戸の講中(玉日講)により再建されたもの。 |
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■ 弘経寺(ぐぎょうじ)
所在地:
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開基は檀秀存把(だんしゅうぞんぱ)、檀越は結城家18代秀康(ひでやす)です。 |
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1595(文禄4)年、秀康の長女松姫(まつひめ)の菩提を弔うために創建されました。創建以来一度も焼失していないという寺院です。 |
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山門前の六地蔵が、東日本大震災により、軒並み倒れたままになっていました。 |
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■ 孝顕寺 (こうけんじ)
所在地:
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開山は独放曇聚(どっぽうどんしゅう)禅師、開基は結城家15代政朝(まさとも)です。
1515(永正12)年に玉岡の地に創建され、永正寺といわれましたが、1599(慶長4)年現在地に18代結城秀康によって再建され現在の寺号となりました。 |
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江戸時代に入り秀康が越前に転封となると、新たに結城藩主となった水野家の歴代の菩提寺として庇護されました。 |
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■ 結城市内の見世蔵 |
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結城では、明治初期から大正期にかけて蔵造りの建物が数多く建築されました。 |
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現在も紬問屋や老舗の商店などで利用されており、当時の面影が色濃く残っています。 |
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■ 常光寺 |
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結城市指定文化財の「阿弥陀如来座像」があり、気になって中に入ってみました。
中にあった説明によると、この阿弥陀如来は古くから「金仏サマ」と人々に親しまれ、佐野・天命の鋳物師の傑作と評価されているそうです
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常光寺です。正式には「金明山天照院常光寺」という時宗の寺院です。建立は1297(永仁5)年と伝わっているそうです。
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■ 船玉古墳
所在地:筑西市船玉247
本墳は、一辺35m 高さ4m の方墳である。
墳丘上に船玉神社が鎮座し、墳頂部の一部が削平されたものと思われる。
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参道の石段横に南面して横穴式石室が開口している。 |
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横穴式石室は羨道部、前室、玄室からなり、全長11.5mを測る。
筑波系の雲母片岩の巨石を使用しており県下では、最大規模である。 石室内の壁には、玄室奥壁と西壁を中心に紅白の顔料を使用して武具等を描いた壁画が確認されている。
しかし、江戸時代から石室が開口していたため石材表面の剥離がひどく、絵柄の判別は難しい。 |
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東日本大震災の影響でしょうか。神社の拝殿の柱が倒れ、建物が壊れています。 |