 |
お寺の前には、広い駐車場がありました。
大型バスで来る観光客も多いのでしょう。
元善光寺の寺域は、善光寺に比べれば狭いです。 |
 |
元善光寺は、今から約一千四百年前に、本多善光によって開かれました。
本多善光は、麻績(おみ)の里の出身で、国司に随って飛鳥の都に上り、ある時、難波の堀江で一光三尊の如来にめぐり会い、これを背負って、故郷に帰り、安置し奉ったのが寺のはじまりと言われています。 |
 |
その後、41年が過ぎ、皇極天皇2年、勅命によって本尊は芋井の里に遷されました。それが現在の長野市の善光寺です。この時同じ一光三尊仏を造ってこの地に留められ、寺は元善光寺と呼ばれるようになりました。
古来、善光寺に参詣するだけでは片参りになると言い伝えられてきました。 |
 |
西国三十三所を参って、元善光寺に参らなければ、片参りとこちらの寺のポスターには書いてありました。
お戒壇巡りもしましたが、真っ暗闇で何がなんだか、わからなかったです。
宝物殿も見学しました。 |
■ 高岡第一号古墳
所在:長野県飯田市座光寺3338-1 |
 |
この古墳は、古墳時代後期における長野県下の代表的な古墳である前方後円墳として規模が大きく原形をよく残しています。 |
 |
死者を葬った石室は、横穴式であり、測壁のところどころに朱のあとが残っており、もとはおそらく全面を朱で彩色してあったと推測されています。
以前は、周囲に壕があって水をたたえていたと伝えられています。 |
 |
また、墳丘から、人・馬などの形象埴輪や円筒が出土しています。
まだ、あじさいの花が咲いていました。 |
■ 長岳寺
所在:長野県下伊那郡阿智村駒場569
長岳寺は弘仁年間に伝教大師により創建、本尊は定朝作十一面観世音です。 |
 |
武田信玄は、病が重くなり三河・野田城からの帰途、元亀4年、天正元年4月12日、駒場の山中で53歳で亡くなったといわれています。
その後、長岳寺に密かにかつぎ込まれ、密かに火葬にされました。 |
 |
境内には、灰塚供養の十三重塔と遺品が残されています。 |
 |
馬場美濃守の供養五輪塔あります。 |