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桃井直常は足利家一門で、当初は足利尊氏と行動を共にして、若狭・伊賀・越中を守護する大身となりました。その後、尊氏と対立するようになり何度も越中、信濃などで反乱を試みて、その都度鎮圧され次第に勢力が失われ、やがて行方が判らなくなりました。墓は、東薬寺の手前の田んぼの中に墓の五輪塔がありました。 |
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■ 龍高寺
龍高寺は、富山市月岡町6丁目にあります。桃井直常の菩提寺でした。富山市布市の旧地から移転しています。案内板も無く、関連がよく判りませんでした。
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■ 興国寺
桃井直常の創建で、直常の位牌が安置されており、直常の供養塔があります。昔訪れたことがありますが、また訪れました。 |
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■ 法蔵寺
富山市大塚にあるお寺です。桃井直和の墓があるwebで見かけたので訪れました。しかし、案内板もなく判りませんでした。
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■ 安養山 瑞現寺
富山県射水市野村にある瑞現寺に来ました。瑞現寺は、後醍醐天皇の第八皇子宗良親王の開基と伝えられています。南北朝に分裂した時代、宗良親王は32歳で越中に入られ、その居を転々と移された草庵(隠棲)の一つとされております。
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■ 放生津八幡宮
創始は天平勝宝年間(749〜756年)と伝え、越中守大伴家持が宇佐神宮から勧請したと伝えます。高瀬輔太郎が棟梁となり、文久3年に再建されました。
大寺院と見まがうような社殿です。大きいです。
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松尾芭蕉の句碑
境内に、「早稲の香や 分け入る右は 有磯海」という句碑があります。
この俳句は、奥の細道で、7月14日、滑川から浜街道を歩き、富山へ寄らずに、浜中の松原を通って放生津に入ったとのことです。
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■ 藤乃宮新明宮
大納言徳大寺實通卿が、奈呉の浦に下向の折詣で、藤の木を植えた事に因んだと伝えられます。 神領地の舟付は宗良親王が上陸した舟着(付)であると伝えられます。
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■ 樸館塚
ここは、宗良親王が、牧野で3年ほど過ごした時の宮跡です。
黒木の丸柱で造った粗末なものだったので、「黒木のお館」と呼ばれていました。
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■ 気多神社
気多神社(けたじんじゃ)は、富山県高岡市伏木一宮にある神社で、越中国一宮です。
高岡市伏木は、かつて国府や国分寺が存在した越中国の中心地でした。
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本殿は、室町時代の特質を残しているとして、国重要文化財に指定されています。 |
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■ 越中国分寺跡
気多神社から戻ってくると、越中国分寺跡があり、小さな薬師堂が建っています。
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■ 恒性皇子御陵墓
高岡市二塚にある恒性皇子の御陵墓を訪問しました。
元弘の変(1331年)で、後醍醐天皇の皇子、恒性皇子は、越中守護である名越時有のもとへ送られて幽閉されました。その後、名越時有によって殺害されました。
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■ 二塚城跡
同じく高岡市二塚にあるにある二塚城跡です。現在は田んぼの中にあります。
鎌倉時代末期、越中守護名越時有は放生津に城を構えると共に、二塚にも支城を構えました。
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■ 極楽寺
高岡市坂下町58にある極楽寺へ来ました。後醍醐天皇の第八王皇子、宗良親王開山の寺といわれています。
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■ 極楽寺
同じく高岡市の博労町にある極楽寺へ来ました。この寺も宗良親王を開山に勧請した寺といわれています。
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後醍醐天皇供養塔
宗良親王は、この地にご滞在中に、父帝後醍醐天皇の3回忌の御忌つとめられました。
この日の観光はこれで終了しホテルへ向かいました。 |
富山県への旅 2日目
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