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観応元年(1350)大野宮山城主一色修理大夫源範光が、名僧夢窓国師を招いて開山とした禅刹で、ご本尊は範光公の念持仏で恵心僧都の作だと伝えられます。
明徳元年(1390)火災に遭い、範光の子、一色左京大夫詮範が明徳3年(1393)に再建しました。 |
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4月で上旬、ちょうど桜が満開でした。
きれいです。
4月の早朝で、寒かったです。
ジャンバーを持ってきてあったので、防寒できよかったです。 |
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■ 大興寺
所在地:愛知県知多市大興寺落田52
大興寺は、今から約1250年前に、行基により開かれたと伝えられます。
正和年中(1312〜1317)頃、三河国一色の地より遷ってきた一色範氏は、この地を領有、荒廃したお堂を再興し、夢窓国師を勧請開山に迎え、寺名を大興寺と改めました。 |
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大興寺は、「福だるま」で有名で、家内安全、交通安全、身体健康、商売繁盛、開運厄除にご利益があるそうです。 |
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■ 大草城跡(大草公園)
所在地: 愛知県知多市大草
天正10年、本能寺の変後、織田信雄が清洲城主となって尾張・北伊勢を領有しました。 これに伴い、信雄の叔父(織田信長の弟である)織田長益(有楽斎)がこの地を領し、大草城を築き始めました。 |
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土塁が未だ残っています。 |
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小牧・長久手の合戦後、長益は摂津へ所領を移され、大草城は廃城となり、大草城は未完の城となりました。
城跡は現在、公園となり、模擬天守が築かれています。
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駐車場の近くにネコがいました。
暖かくて日向ぼっこをしていました。 |
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■ 大野城跡(城山公園)
常滑市にある大野城跡へ来ました。
駐車場に車を停め、階段を登り、本丸へ向かいます。
大野城は、初め一色氏が居城しましたが、応仁の乱以後一色氏は衰退し、その家臣だった佐治氏が台頭し、大野城は佐治氏の居城となりました。三代・信方は織田信長の下で活躍しました。 |
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信長の妹・犬の方を嫁にもらい織田家とは親族関係になりました。
織田信長の妹、お市の方の末娘・小督(お江)が城主佐治与九郎のもとへ嫁ぎました。後に、お江は、徳川三代将軍家光の母となります。
現在は、本丸跡に模擬天守が建設されています。 |
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大野城跡は、城山公園として親しまれ、展望台からは伊勢湾のパノラマが楽しめます。
訪れた際は、ちょうど桜が満開で、天気は晴天、素晴らしい景色でした。 |
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佐治神社
大野城が存在した頃は、物見櫓があったとのこと。 |
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桜が満開でした。 |
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■ 赤羽根城跡 城跡は、現在、赤羽別院親宣寺であり、山門前に城址碑が建てられています。 |
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赤羽根城は、平安末期に鷲尾氏により築かれたとされます。五代目鷲尾時秀は中先代の乱(1335)で北条方に参陣して没落し、以後、一色氏、高橋氏と城主は移り変わりました。永禄4(1561)年、赤羽根城は、松平元康(徳川家康)勢によって攻められ落城しました。
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赤羽別院に隣接する一色高校も城域とされます。ここも桜が満開できれいでした。 |
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■ 西浦山無量寺
愛知県蒲郡市西浦町日中にある無量寺へ来ました。
駐車場に車を停め歩いてゆくと、インド風の塔、大雁塔が見えてきます。中国西安の仏塔を三分の一に復元したものだそうです。 |
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無量寺の参道の桜です。きれいです。 |
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本堂
無量寺は、蒲郡市では最古の寺とされており、現在では、ガン封じの寺とされています。ガン封じにご利益があり、参拝者が書いたガンにならないようにとの絵馬がたくさん奉納されていました。 |
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■ 山本勘助の墓
豊川市に来ました。市内にある長谷寺の山本勘助の墓を見学しました。
山本勘助は、武田信玄の軍師として有名です。永禄4年(1561)の川中島の戦いで、最期を遂げたとされています。
長谷寺住職と親交があり、託された遺髪を葬り、五輪塔を建立したとのことです。 |
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■ 今川義元の墓
同じ豊川市にある大聖寺に来ました。
大聖寺の境内には、戦国時代の大名、今川義元の胴塚があります。
今川義元は、永禄3年(1560)、戦勝祝宴中のところ、大雷雨に乗じた織田信長の奇襲をうけて敗死しました(桶狭間の戦い)。 |
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家臣たちは、首のない義元の遺体を背負って駿河へ帰る途中、ひとまずこの地に葬り、手水鉢をその上に置いて墓じるしとしたものです。
嫡子の氏真は、父の三周忌を大聖寺で営みました。 |
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■ 三明寺 所在地:愛知県豊川市豊川町波通37
同じ豊川市にある三明寺に来ました。
三明寺は、豊川弁天の名前で親しまれている曹洞宗の寺院です。
こちらの桜は散り始めていました。 |
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三明寺には、室町時代 享禄四年(1531)年建築の国重要文化財の三重塔があります。
三重塔を見学したかったのですが、ちょうど現在、修復中でした。残念です。
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