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竹崎城跡は、九州自動車道の東側の山にあり、主郭跡とされる山頂部に石碑が建てられています。
築城年代は定かではありませんが、元寇のおりに活躍した竹崎李長の居城とされています。 |
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竹崎李長は、阿蘇大宮司宇治氏の一族とも菊地氏の一族といいわれ、元寇では敵船に乗り込んで首級をあげるなど活躍しました。
文永・弘安の役の元寇における自身の戦いを描かせた「蒙古襲来絵詞」で有名です。 |
■ 竹崎季長の碑 |
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熊本県宇城市松橋町の集落のなかのお寺に、竹崎季長の碑が建っていました。この地域の出身ということで、顕彰されていました。 |
■ 海東阿蘇神社
所在地:熊本県宇城市小川町西海東1294 |
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宇城市にある、海東阿蘇神社に来ました。
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海東阿蘇神社は、1289年(正応2年)、元寇で活躍した海東郷の地頭・竹崎季長により、阿蘇神社の祭神十二柱を勧請し、天下泰平・国家安全を祈願して創建されました。 |
■ 塔福寺
所在地:熊本県宇城市小川町東海東45 |
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塔福寺は、熊本県宇城市小川町東海東に所在する真宗大谷派の寺院です。
1293年(永仁元年)、元寇で活躍した海東郷の地頭・竹崎季長の菩提寺として建立されました。はじめ、天台宗の寺院でした。 |
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キリシタン大名小西行長のキリスト教布教のもと、寺院の焼打ちになどによって廃寺同様となり、1590年頃(天正末年頃)には、わずかに観音堂一宇を残すだけとなっていました。
1702年(元禄15年)、延寿寺の僧・知栄が真宗大谷派に改め再興しました。寺には、竹崎季長関係の文化財が残されています。。 |
■ 竹崎季長の墓(平原公園) |
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竹崎季長が眠る墓と伝えられているものが海東の平原にあります。
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墓の周辺は現在「平原公園」として整備され、季長の武勲を讃えた東郷平八郎の書による「弓せんのみちすすむをもてしょうとす」という言葉が刻まれた記念碑が建っています。 |
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記念碑に登る階段の左側の小道をしばらく歩いた先に、竹崎季長の墓があります。 |
■ 小木阿蘇神社
所在地:熊本市南区城南町塚原997 |
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小木阿蘇神社(おぎあそじんじゃ)は、熊本県熊本市南区城南町に鎮座する神社です。 |
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小木阿蘇神社は、1339年(延元4年)、肥後国守護菊池武光により勧請という説と、1340年(興国元年)に菊池武光の子武政が勧請したという説があります。菊池家代々の篤い崇拝を受けました。 |
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豊田庄の鎮守として氏子の崇敬を集め、広大な社領50町歩を有しました。1868年(明治元年)に小木阿蘇神社と改称、1882年(明治15年)、郷社に列しました。 |
■ 塚原古墳群
所在地: 熊本県熊本市南区城南町塚原 |
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塚原古墳群は、昭和47年(1977)、九州縦貫自動車道建設に伴う調査により発掘されました。
県民上げての保存運動の結果、遺跡の下をトンネルで通る、という全国で初めての方法で残されました。 |
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現在、77基の復元された古墳や、季節の花が咲くきれいな古墳公園に整備されています。 |
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前方後円墳や方形周溝墓、円墳などの総数は約500基と推定されます。
熊本県内にも、古代に、大きな勢力があった証拠です。 |
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かなり雨が降っていました。雨が降っていなければ、ゆっくり見学したのですが。
古墳群に併設されている博物館を見学しました。 |
■ 西征将軍宮
所在地:宇土市走潟 |
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征西将軍宮は、宇土市走潟にあります。 |
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特に、説明案内も無く、懐良親王との関係は不明です。 |