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■ 浪打八幡宮
所在地:香川県三豊市詫間町詫間1376
浪打八幡宮は、詫間町の中心地にあり、鳥居の周囲は、スーパーなどがあり賑わっています。鎮守の杜は豊かで、丘の上まで続いています。
玉垣が巡らされた入口の二の鳥居を潜ると駐車場となっています。 |
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随神門の後ろ、には急な石段が続いています。
浪打八幡宮は、推古天皇十二年(604)8月14日、高村親王の創建といわれます。 |
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境内には、宗良親王社等が祀られています。
しかし、今日は寒いです。 |
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■ 新田神社
所在地:三豊市高瀬町上高瀬646
脇屋義助の死後、その家臣安藤村久が難を避けてきました。村久は上高瀬村に住んで、新田社を建て守護神としたといいます。
神社は、村の鎮守様という風に見えました。 |
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■ 高津神社(加茂高津神社)
高津神社は、「皇子屋鋪」とも呼ばれ、醍醐天皇の皇子である宗良親王を祀ります。京から詫間浦に流された親王は、海辺の気候が身体に合わず、この地に移り住んだといわれています。 |
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皇子が京へ戻った後、この仮殿を後世に残そうと土地の豪族が自ら資材を投じて一庵を建立し、里人の崇敬を集め今日にいたっています。
高津神社を訪れた頃までは、まだ青い空が見えていました。 |
■ 本山寺
所在地:三豊市豊中町本山甲1445
山号は七宝山(しっぽうざん)。開山は空海(弘法大師)と伝えます。
本尊は馬頭観音菩薩。四国八十八箇所霊場第七十番札所です。
寺伝によれば、大同2年(807年)、平城天皇の勅願寺として、空海(弘法大師)が自ら刻んだ馬頭観世音菩薩像を本尊として開創したといいます。中世には寺領2000石、24坊を持つ大寺となって栄えました。
天正年間(1573年 - 1593年)、長宗我部氏の戦により讃岐国の主要寺院の大半は兵火を受けます。当諸堂を焼失しましたが、鎌倉時代建立の本堂(国宝)や仁王門(国の重要文化財)等は兵火を免れました。江戸時代には領主の生駒氏と京極氏により再興されました。
広い駐車場があり、札所巡りのお遍路さんが来ています。大型バスで来ている団体のお遍路さんもいました。 |
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二王門(国重要文化財)
駐車場に車を停め歩いていくと、二王門が迎えてくれます。
室町時代中期建立の三間一戸八脚門。 |
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大師堂
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五重塔
明治29年着工43年完成の塔です。
初層に明治期作の五智如来(檜材一木造り、彫眼、古色)が祀られています。
現在は、残念ながら、平成の大修理の真っ最中で、足場・屋根が組まれ、塔自体はよく見えませんでした。 |
本山寺を参拝し終えると、とても寒いし、お天気も俄かに曇り、模様が悪くなってきました。
高松方面へ向かうと、とうとう雨が本降りになってきました。寒いし、もう、観光を止めようかと思いました。
取りあえず、坂出市にある史跡 細川将軍戦跡碑に向かいました。
幸いに、雨があがってきました。傘も必要ありません。
細川将軍戦跡碑は、田圃のすぐ近くにあります。隣には、工場が立っています。 |
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■ 細川将軍戦跡碑
所在地:坂出市林田町36
「史跡三十六」ともいう史跡がす。ここは白峰合戦の古戦場であり碑と墓がたたずんでいます。 |
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中山城山の筆による「細川将軍戦跡碑」 |
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この地は三十六といい、近くに雄山があり、「三十六さん」「三十六」とよばれ、勤王家として王事に奔走した細川清氏と従士三十六人が、細川頼之の軍と奮戦苦闘、ついに力尽きて主従ともに自刃し、屍を埋めたと伝えられます。 |
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■ 喜岡城
喜岡城は、建武2年に高松頼重によって築かれました。
喜岡寺の山門前と権現社への参道前に喜岡城の石碑があります。 |
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建武2年に足利尊氏に組した細川定禅が挙兵し、守護高松頼重を攻めます。 讃岐の詫間・香西・三木・寒川氏らの諸豪族が細川方に付き、喜岡城は落城しました。
その後、喜岡城は再度高松氏の領する所となり、香西氏に属しました。 |