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道成寺は、大宝元年(701年)、文武天皇の勅願により、義淵僧正を開山として、紀大臣道成なる者が建立したといいます。 |
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仁王門(重要文化財)
江戸時代 元禄13年(1700年)再建 |
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本堂(重要文化財)
南北朝時 正平12年(1357年)再建 |
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道成寺は、新西国三十三箇所観音霊場の第五番札所です。
また、能、歌舞伎、浄瑠璃の演目として名高い、「安珍・清姫伝説」で知られています。
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鐘巻之跡 |
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安珍桜 |
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三重塔(和歌山県指定文化財)
江戸時代 宝暦14年(1764年)再建 |
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三重塔 |
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本堂と三重塔 |
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本堂
道成寺には、大宝殿(宝物館)があります。
千手観音立像、伝日光.月光菩薩立像の国宝三体が収納されています。
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安珍・清姫伝説
延長6年(928年)夏の頃、。奥州白河より熊野に参詣に来た僧がいました。
この僧の名な安珍といい、大変な美青年でした。
紀伊国牟婁郡真砂の庄司清次の娘・清姫は、宿を借りた安珍を見て一目惚れ、女ながらに積極的に夜這いをかけ、安珍に迫ります。
安珍は参拝中の身としてはそのように迫られても困る、帰りにはきっと立ち寄るからと騙して、参拝後は立ち寄ることはありませんでした。
騙されたことを知った清姫は怒り、裸足で安珍の後を追い、道成寺までの道の途中で追い付きます。
安珍は再会を喜ぶどころか、別人だと偽り、更には熊野権現に助けを求め清姫を金縛りにした隙に逃げ出そうとします。
ここに至り、清姫の怒りは最高潮に達し、遂に蛇身に化け安珍を追跡します。
道成寺に逃げ込んだ安珍を追うものは、火を吹きつつ川を自力で渡る蛇の姿です。
もう、どうしようもなく、安珍は、梵鐘を下ろしてもらいその中に逃げ込みました。
しかし清姫は許さず鐘に巻き付き、哀れ安珍は鐘の中で焼き殺されてしまいました。
安珍を滅ぼした後、清姫は蛇の姿のまま入水しました。
蛇道に転生した二人はその後、道成寺の住持のもとに現れて供養を頼みます。
住持の唱える法華経の功徳により二人は成仏し、天人の姿で住持の夢に現れました。
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