平成20年 5月 福岡

 水城

水城(みずき)は、現在の福岡県大野城市から太宰府市にかけてあった古代の防御施設です。(国特別史跡)

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水城は、日本書紀によると664年に天智天皇が築いたとされます。

当時の日本朝廷は、朝鮮半島の百済を救済するため出兵、663年に白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗しました。
その後、博多湾から大宰府に攻め込まれるのを防ぐために、水城を築いたとされ、翌665年には、付近に大野城、基肄城、長門城などの朝鮮式山城が築かれたとされます。
水城は、博多湾方面からの攻撃から、大宰府を守るための防御線となる直線状の堀と土塁です。

土塁は、高さ10m以上、幅80m、長さ1.2kmあり、その博多湾側にあった堀は、幅60m、深さ4mで水を貯えていたといわれます。
土塁には2箇所に開口部があり、そこに門があったことが発掘によって確認されています。土塁の内部には、御笠川から堀に水を流すための木樋(もくひ)が通っている。
間を、九州自動車道が縦貫して走っています。
今でも、大規模な土塁が残っています。
樹木、竹が生い茂り、墓地がある所もあります。
これだけの大規模施設を造るとは、天智天皇は、唐・新羅が九州にまで攻めてくるのを、たいへ恐れていたのですね。

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