平成23年5月5日 ■ 浪岡城跡 所在:青森市浪岡大字浪岡字岡田 浪岡の地に拠点をもったのは、南朝の忠臣北畠親房の子孫と伝えられています。浪岡御所と尊称された浪岡城主北畠氏の系譜は、北畠顕家(あきいえ)の子顕成(あきなり)を祖としています。また、北畠顕信の子守親もやや遅れて浪岡に入り、川原御所と呼ばれたといいます。 浪岡城は「北畠古城跡碑」のある内館を中心に、猿楽館・東館・北館・西館の5郭がまとまり、東館の東に追手門、その先には新館が営まれ、西館の西には検校館がありました。往時は二重堀がめぐらされていたと推測されます。 浪岡城は、1578(天正6)年、津軽為信の攻撃により落城し、北畠一族は四散しました。1977年以降、城域内の発掘調査が行われ、その成果をもとに史跡公園として整備事業が進められ、ガイダンス施設も完成しました。船載の陶磁器や和鏡などの出土品は中世の館に展示されています。
|