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育児院と牛乳の記念碑
ポルトガル人医師アルメイダによって府内に育児院が建てられたこと、及び、育児院で牛乳が飲用されたことを記念する彫像。(圓鍔勝三氏による作品) |
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西洋劇発祥記念碑
1560年のクリスマスに府内で西洋式の演劇が初めて行われたことを記念する彫像。その際に演じられたとされる「ソロモンの裁判を願った二人の婦人」の場面をモチーフにしている。(舟越保武氏による作品) |
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滝廉太郎君像
大分県出身の作曲家瀧廉太郎の像。朝倉文夫氏による作品。
朝倉は竹田高等小学校での滝の3年後輩であり、像の下部には廉太郎との関わりを記した朝倉自筆の文が刻まれている。 |
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史蹟 滝廉太郎終焉之地
遊歩公園は瀧廉太郎の終焉の地でもあり、その地を示す標柱も立てられています。 |
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西洋医術発祥記念碑
1557年に日本で初めての西洋式の病院が府内に開かれ、西洋式外科手術が行われたことを記念する像。病院を開いたポルトガル人医師ルイス・デ・アルメイダが外科手術を始めようとする様子を表しています。(古賀忠雄氏による作品) |
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健ちゃんの像
北村西望氏の作品 |
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みどりのかげ
あごに手を当てて思いに耽る裸婦を描写しています。(朝倉文夫氏の作品) |
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伊東ドン・マンショ像
天正遣欧少年使節の正使で、豊後の大友宗麟の名代としてローマに派遣された伊東マンショの像。洋装し、馬にまたがる伊東マンショを表しています。(北村西望氏による作品)。 |
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西洋音楽発祥記念碑
1557年に聖歌隊により賛美歌が合唱され、外国人神父からビオラを学んだ少年達が1562年7月に大友宗麟の前で演奏するなど、府内に西洋音楽が伝えられたことを記念する彫像。(富永直樹氏による作品)。 |
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■ 府内城跡
府内城(ふないじょう)は、大分城とも呼ばれます。
府内城という名称は、大分市が中世に府内と呼ばれていたことにちなむものです。府内には、古代には豊後国の国衙が置かれ、鎌倉時代から戦国時代にかけては豊後国の守護職・守護大名であった大友氏の拠点でした。 |
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府内城は、大分市街の中心に位置する平城です。
安土桃山時代後期、府内に12万石で入封した福原直高が府内の荷落に築城を始めましたが、福原氏は改易され、関ヶ原の戦いの後に3万5千石で入封した竹中重利が完成させます。
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江戸時代には府内藩2万石の藩庁が置かれ、明治初期に本丸・東丸・西丸の建造物以外は破却され、堀の一部が埋め立てられました。
さらに第二次世界大戦時の空襲により櫓が数棟焼失しました。 |
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大手門 |
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現在、城跡は大分城址公園となっています。 |
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天守台石垣 |
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