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■ 篠束城跡
豊川市の街中ら少しはずれたところにある篠束城にきました。篠束城は、延元元年(1336)、新田義貞の家臣である篠塚伊賀守重広が築いたとされます。
その後、九州落ちした足利尊氏の東上に従った西郷氏が篠束城に入りました。 |
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現在の篠束城跡は一面、畑地に変わり遺構は無く、説明版だけが道路わきの畑に立っています。
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■ 医王寺
所在地:豊川市篠束町郷中98−1
篠束城跡から少し離れたところにある医王寺に来ました。
医王寺は豊川に近い交通の要衝に建てられ、創建当時はこの地方の中核的な寺であったされます。 |
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境内には篠束城の西郷弾正の墓があります。 |
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■ 善住寺
所在地:豊川市小坂井町
墓地の一角に、南北朝時代の武将である赤松則村父子の供養塔があります |
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赤松則村供養塔
赤松則村は建武の新政には後醍醐天皇に貢献しましたが、待遇に不満があり、足利尊氏 が建武政権に反旗を翻すと、則村もこれに応じて各地で官軍と戦い、足利政権樹立に大きく寄与しました。なぜ善住寺に供養塔があるかは不明です。 |
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■ 船山古墳
所在地:豊川市八幡町上宿
船山古墳は、三河地方最大の前方後円墳です。墳丘の規模は全長約94m、前方部幅約65m、後円部直径56m、高さは前方部、後円部ともに6.5mで、5世紀中頃の築造とされています。 |
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昭和63年(1988年)、前方部先端墳麓の発掘調査が行われ、2基の埴輪棺が埋設されていたのが確認されています。 |
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■ 御油の松並木
豊川市内の御油に来ました。御油宿は、徳川家康によって東海道に宿場制が定められ、東海道五十三次の第35番目の宿場として繁栄しました。 |
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この御油宿と赤坂宿の間に、慶長9(1604)年に御油の松並木が整備されました。
昭和19年に、国の天然記念物に指定され、日本の名松百選にも選ばれています。 |
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音羽川
川の堤の桜は、満開をすぎ、散り始めていましたが、まだきれいです。 |
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バーベキューをして楽しんでいるグループがいました。 |
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■ 三河国分寺跡
国分寺は、天平13年(741)に聖武天皇が発した国分寺建立の詔により諸国に建てられました。
三河国分寺は、発掘調査により、180m四方の寺域に、南大門・中門・金堂・講堂が南北一直線に並ぶ壮大な伽藍があったことが確認されています。
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三河国分寺跡は広大なエリアを持っています。 |
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三河国分寺 塔跡 |
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礎石が残っています。 |
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講堂跡 調査で礎石が発見されました。 |
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現在の国分寺の鐘楼。
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銅鐘(梵鐘)は、
大正11年(1922)に国の重要文化財に指定されました。平安時代の作といわれています。 |
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広大です。これから国分寺跡の整備をしていくのでしょうか。 |
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現在の国分寺。1506年(永正3年)再興され曹洞宗に改宗しました。
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■ 三河国分尼寺跡史跡公園 三河国分尼寺跡に来ました。 |
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当時の姿を実感できるよう、中門及び回廊の一部を遺構の真上に実物大建物として復元しています。
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中門からの入口 |
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金堂
本尊を祀った寺の中心建物です。奈良の唐招提寺金堂に匹敵する規模だそうです。基壇(きだん)の復元整備が行われました。
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三河国分尼寺跡も広いです。このエリアに民有地もなく、まとまっているものです。 |
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三河国分尼寺史跡公園は年中無休で、いつでも入園できます。
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三河天平の里資料館
三河国分尼寺跡史跡公園に併設されたガイダンス施設です。発掘調査での出土品の展示や映像によって三河国分尼寺跡をはじめ、国分寺・国府跡なを解説しています。
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■ 東観音寺(とうかんのんじ)
東観音寺は、愛知県豊橋市にある臨済宗妙心寺派の寺です。山号は小松原山、本尊は馬頭観音菩薩です。 |
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東観音寺は、寺伝によれば733年(天平5年)行基によって開かれたとされます。
当初は真言宗の寺院でしたが、その後、臨済宗に改められました。江戸時代に入ると徳川家から寺領を寄せられ、1716年(正徳6年)、現在地に移されたといいます。 |
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本堂 |
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多宝塔
多宝塔はは1528年(大永8年)に建立されたとされ、国の重要文化財に指定されています。
大永年間(1520年ごろ)戸田氏の重臣であった藤田左京亮によって寄進されたものといわれています。塔の建築様式は唐様と和様の折衷様式で、初層の須弥壇には多宝如来像が安置されています。 |
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東観音寺では、桜が満開でした。 |
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■ 高井城跡
築城年は定かではありませんが、南朝の武将 高井主膳の居館跡とされます。
以後、城主には、白井作左衛門、西郷孫九郎清員が続きます。 |
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現在は雑木林、畑地に変わり、土塁らしきものが残っているだけです。 |
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城跡がある丘陵の下側から見た風景です。 |