平成19年11月 ■ 島根県 荒神谷遺跡 先週末から、2泊3日で山陰へ旅行に行ってきました。 泊まったホテルの部屋が、ネット環境が無くて、ちょっとさびしかったですが。(^^; 11/3(土)、米子空港に到着、レンタカーを借り、まずは、荒神谷遺跡へ向かいました。 荒神谷遺跡 荒神谷遺跡は、斐川町大字神庭(かんば)にあります。 地名の神庭といい、遺跡名称の荒神谷といい、神を意識させます。 荒神谷遺跡は、昭和59年夏、広域農道の建設のため、谷あいの斜面を発掘調査したところ、標高22mの丘陵斜面から銅剣358本が発見され一大センセーションを巻きおこしました。 続いて銅鐸6個、銅矛16本が出土しました。 荒神谷で発見された当時、全国の銅剣出土総数は300本余りでしたが、荒神谷で発掘された銅剣は、それを上回っていたわけです。 銅剣358本のうち344本のなかご部分に「×」印が刻まれていました。 その印がある例は荒神谷遺跡と隣在する加茂岩倉遺跡から出土したものだけです。「×」印の意味はいまだに謎ということです。 遺跡自体は、1987年に国の史跡に指定されました。 1995年に遺跡一帯に「荒神谷史跡公園」が整備され、2005年には公園内に「荒神谷博物館」が開館し、出土品の期間展示などが行われています。 出雲には、大国主命が天照大神の神託により、国譲りをさせられたという神話があります。 実際に、弥生時代の出雲の勢力が、大和朝廷に敗北し、祭祀の道具を無理やり廃棄させられたのでしょうか。 これだけの大量の銅剣が集められ、土中に整然と埋められていたのが不思議です。 古代の歴史ロマンをかきたてられます。 今後の古代史の解明が待ち遠しいですね。 |