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現代は、出雲大社といいますが、古代から「杵築大社(きづきたいしゃ)」と呼ばれていました。明治4年に出雲大社と改称したものです。
出雲大社は、大国主神(おおくにぬしのみこと)を祀っています。
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出雲大社は、国譲りの神話に関係しています。
葦原中国(あしはらのなかつくに・日本)は、当初、大国主神が統治していました。
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ある日突然、高天原にいた天照大神(あまてらすおおみかみ)は、葦原中国を統治すべきは、私の子孫であると言い出しました。
実際に国を譲るよう、神を大国主神のもとに派遣しましたが、成功しませんでした。
最後に、タケミカヅチ(建御雷之男神、建御雷神)を派遣することにしました。(タケミカヅチは、鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)に祀られています。)
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タケミカヅチは、国を譲りなさいと、大国主神に訊ねました。
大国主神は、まずは、私の息子に意見をきいてくれといいました。
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一人目の息子、コトシロヌシ(事代主)は「承知した」と答えると自殺してしまいました。
二人目の息子、タケミナカタ(建御名方神)は、タケミカヅチと力較べをしましたが、逃げ出し、信州の諏訪湖まで追いつめられ、ついに降伏しました。
(タケミナカタは、諏訪大社に祀られています。)
タケミカヅチは出雲に戻り、大国主神に再度訊ねました。
大国主は「二人の息子が天津神に従うというのであれば、私も逆らわずにこの国を天照大神に差し上げる。その代わり、私の住む所として、天の御子が住むのと同じくらい大きな宮殿を建ててほしい。」と言い、常しえに隠れました。
大国主は、あの世の神となりました。
葦原中国(あしはらのなかつくに)を支配するようになった天照大神の子孫が天皇家です。
大国主の宮殿が、出雲大社です。 |
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出雲大社の参拝は変わっています。
通常の神社は、2拝2拍手1拝です。2回礼して、2回拍手をうち、最後に1礼します。
出雲大社では、2拝4拍手1拝です。
私も、2拝4拍手1拝をしましたが、不思議な感じです。 |
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現在の本殿は延享元年(1744)に建てられたもので、高さ24mです。これでも高いですが。
本殿は、日本最古の建築様式である「大社造り」の神社として、国宝に指定されています。 |
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社伝によれば、本殿は太古には97m、中古には48mあったとされています。
これは、空中にある宮殿です。
2000年(平成12年)に、その社伝を裏付けるような、巨大な柱根が境内で発見され、大きな話題となっています。 |
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「大社造り」本殿は国宝ですが、木塀があり、全体はよく見えないですが、現在の本殿でも巨大です。 |
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出雲大社は、さすが観光地だけあり、観光客が多いです。
杉の木の幹が見えないほど、おみくじが付けられていました。
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神楽殿
神楽殿は、巨大な注連縄(しめなわ)がひときわ目をひきます。神楽殿は、比較的新しい建物です。
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注連縄は、長さ13m、胴回り9m、重さは3トンです。
圧倒的な存在感ですね。 |