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こちらは、聖武天皇の国分寺の後身のお寺です。
現代の国分寺も大きなお寺です。 |
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茅葺の瑠璃堂は、寛文6(1666)年の建立です。
こじんまりした素朴なお堂です。 |
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天平13年(741)聖武天皇の詔により、諸国に一か寺ずつ建立された国分寺のうちの一か寺で、建立完成年代については「大日本古文書」に天平宝字8年(764)、佐渡国分寺に最勝王経、法華経各一部が国から施納された記録があり、落慶を祝う施納と見られています。 |
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佐渡国分寺はこれまでに何度も災禍に遭い、正安3年(1301)の雷火には七重塔を失い、享禄2年(1529)寺堂火災で宝物旧記を失いましたが、幸いにも本尊の薬師仏のみは厄を免れ、いくたびかの修復を経て現在のお姿をとどめています。 |
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本堂前に池があります。池に近づいたら、蛙が二匹池に飛び込みました。 |
■ 佐渡国分寺跡
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国分寺の西側に、金堂、廻廊、中門、南大門、塔跡、新堂跡などの礎石がならんでいます。伽藍配置は東大寺式で、方位は磁針の真北から7度東にかたより、天平尺33尺単位の地割りを以って基準としています。
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この国分寺跡においては、未だに経蔵、鐘楼、講堂、僧房などの跡は確認されていません。 |
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寺伝によると、七重塔は正安3年(1301)の雷火で焼失、享禄2年(1529)の火災で寺堂を焼き宝物旧祀を失ったと伝えられています。国分寺遺跡からは、おびただしい数の瓦が出土しています。 |
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