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万福寺跡は、佐渡市役所の西側にあります。
能楽の始祖と言われる、世阿弥は、永享6(1434)年、室町幕府将軍 足利義教の怒りにふれ、72歳で佐渡に配流となりました。
佐渡配流となった世阿弥の最初の配所が、万福寺でした。その後、戦のため配所を泉の正法寺に移しました。 |
■ 正法寺
所在地:新潟県佐渡市泉甲504 |
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世阿弥の最初の配所は万福寺で、いまの佐渡市役所付近にあったといわれ史跡碑がたっています。 |
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その後、内乱のため移されたところが正法寺と伝えられ、境内には腰掛石が残っています。 |
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正法寺にて世阿弥は、順徳上皇の配所である黒木御所跡を訪ねたり、「金島書
を書き上げたりしています。 |
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正法寺には、県指定文化財の神事面べしみがあります。鎌倉時代後期〜南北朝期の作といわれ、県内では最古のものです。干ばつの時に世阿弥がこの面を着けて舞ったところ大雨になったとの言い伝えがあります。 |
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■ 実相寺
所在:新潟県佐渡市市野沢856
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実相寺は、日蓮にゆかりの史跡です。 |
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流人の身だった日蓮はここで毎日朝日を拝み、亡き父母を偲んだといわれています。 |
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樹齢千年の大杉です。 |
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日蓮袈裟掛けの松です。 |
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文永9年から同11年まで一の谷謫居の身となった日蓮聖人が、この丘陸に立ち、古松に袈裟をかけ、崖下の泉で口をすすぎ、朝日を拝し、郷里安房の父母を追慕して、親恩の厚さを感謝された所と言われています。 |
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このゆかりの地に、日蓮聖人が故郷の両親をしのびながら朝日を拝んでいる立像が昭和53年に建立された。
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■ 大久保長安の逆修塔
所在:新潟県佐渡市相川江戸沢町1-6 大安寺境内
大久保 長安(おおくぼ ながやす(ちょうあん))は、武田氏、次いで徳川氏に仕え、後に江戸幕府勘定奉行、老中となりました。 |
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武田家時代は民政を担当しました。武田家滅亡後は、徳川家康に登用され、徳川家重臣大久保忠隣から姓をもらい、関東領国支配の中心として、各地で検地などを街道の宿駅制度(伝馬・一里塚等)の整備を行いました。
また、石見・佐渡・伊豆の金銀山開発にもあたり、水銀流し法を採用して大増産に成功し、家康の側近として幕府の経済基盤をつくりました。 |
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しかし、慶長18(1613)年4月25日に駿府で病死すると、即刻家康に生前の公金隠匿・謀反の計画があった等の罪を着せられて、領地は没収、遺子7人は死罪となりました。
その真相は不明ですが、長安の巨額の資産と幕府内での権力等闘争が原因といわれています。 |
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大安寺は、相川江戸沢町の街中から山際に登ったところにあり、海を見渡せます。
大久保長安の逆修塔は、初代佐渡金山奉行の大久保長安が、生前自ら建てた墓です。 |