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甲斐源氏・南部三郎光行が文治5年(1189)、源頼朝による平泉藤原氏討伐の際の功により陸奥国糠部郡(ぬかのぶのこおり:青森県三戸・上北・下北・岩手県二戸・九戸の各郡にわたる地域)、いわゆる南部領を与えられ、建久2年(1191)12月、三戸に入部したと伝えられています。それより、三戸城は南部氏の本拠とされていました。 |
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現在の城跡は「県立城山公園(三戸城山公園)」となり、昭和31年県立公園に指定され、青森県南随一のサクラの名所として親しまれています。 |
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三戸城温故館 |
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園内の歴史民俗資料館には、藩政時代の資料などが展示されており、南部氏800有余年の歴史を知ることができます。また、平成18年「日本の歴史公園100選」に選ばれました。 |
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三戸桜まつりが開催されていました。
たくさんの人が訪れています。幸運にも、タイミングよく駐車場に車を停められました。 |
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亀池 |
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繭子の像
三浦哲郎の小説「繭子ひとり」(まゆこひとり)の主人公 繭子の銅像です。 |
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奥瀬与七郎邸跡から、三戸市街を望む。 |
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■ 法身塚(ほうしんづか) 所在:青森県十和田市洞内沼田野
法身国師は若いころ平四郎といい、時幹の下僕でした。
ある冬の雪見の宴の折、平四郎は主君の木履を懐で温めていましたが、時幹は尻に敷いていたと誤解し、その木履で平四郎の額を割りました。
これに発奮した平四郎は、その木履を持って京都に上り、建仁寺の僧となり、性西を名乗り、修業を積みました。その後に宗(中国)に渡り天目山経山寺で九年間苦行を続け、仏法の奥義を極めて帰国しました。 法身国師の勅宣を得て、全国を行脚し弘法を広め各地に寺院を建立しました。
法身国師は、約700年前の鎌倉時代、現在の茨城県真壁郡に生まれて平四郎と称し、真壁左衛門尉径明に仕えましたが、故あって出家します。 |
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法身塚
中国の宋に渡って禅行を修め、真壁に伝正寺を建て、松島の瑞巌寺を興した後、洞内の地に法蓮寺を開きました。
法身和尚を埋葬した塚と言われるのが「法身塚」で、市の有形文化財に指定されています。 |
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袈裟の松
鎌倉時代の高僧・法身禅師が洞内に住み、自ら田を耕した。その際袈裟を掛けたと言い伝えのある松。国道4号から見える。 |